6.11.10

ネイガウスの魔法


Heinrich Gustavovich Neuhaus(1988.4.12-1964.10.10)

20世紀の到来とともに、後に伝説となる4人の教授が現れ それぞれ固有のピアノ学派ができました。



イグムノフ、ゴルデンヴェイゼル、ニコライエフ
そして
ゲンリヒ・ネイガウス

リヒテル、ギレリスなど優れたピアニストを輩出。ナウモフ教授の先生でもあり、
マリーニンと共に ネイガウス門下のアシスタントをつとめていました。
カステルスキーはネイガウス最後の弟子 で有名でした。






“『古い』音楽と『新しい』音楽などはなくて よい音楽と悪い音楽、高い音楽と低い音楽があるまでだ。
われわれが過去の偉大な作品を古くさいと感じるとすれば 歴史的認識の低さ(いわば教養)に欠けているだけのこと。
この事実は作品の経歴からではなく、われわれの悲しい経歴からおきるのだ。

文学や詩や哲学を愛する人は 『エディプス王』や『オデユッセイア』をするすると読み
アリストテレスにはまり、それから直接マルクスへ。。パレストリーナやヤナチェクのミサも楽しめるだろう”


“音楽を学ぶと練習するという概念が同じではいけない。 音楽する概念と勉強すう概念が両立せねばならない。
ホフマンの教えをすすめる。
第一は楽譜とともにピアノで曲を学ぶ事
第二は楽譜なしでピアノで学ぶ
第三はピアノなしで楽譜で学ぶ
第四は森や街で(楽譜ピアノなしで)作品のことを考えながら学ぶこと。”







演奏プログラムで真似するべきものはリヒテルだ。ロシア、西洋の古典音楽をあらゆる場所で演奏した。
バッハの平均率曲集に至っては全曲をなんども演奏した。
彼は自分の演奏会によって幅広い層の聴衆の満足を得ただけでなく
聴衆の芸術的教養と音楽的視野を広げかつ、高めながら(いい聴き手を育てる)
彼らに新しい地平線をひらき、あまりしられない作品を紹介している。

対照的にホロヴィッツはおもしろいことをいった。
私は彼に あまり知られてない作品をたくさんひくようにすすめた。すると彼は答えた
ステージではなによりもまず聴衆の好んでいるものだけを弾き
その他のものは自宅で弾けるから。と。

ホロヴィッツの行動の格言は 第一に 成功 である。
リヒテルの格言は 第一に 芸術 なのである。”



カステルスキーのスクリャービンはとても美しかった

この曲をきくと どうしても思い出す

冬の寒い雪の日に

音楽院から先生を見送った日を。。。


そのあいだ中
先生のピアノ録音がホール全体をつつんでいた






4.11.10






No.2 / No.5









月がどうやら涙を含んでいるかのようなー。









2.11.10

喋るは易く 語るは難し


1 とある家のピアノの一室。真っ白で目の色のちがう(右がみどり、左がコバルトブルー)猫がいる

蓮『 なんてことはありません、少し楽器がちがうだけです 』





2. umi no kazeno kimotinoyoi hanarekojima nite

players 『 演奏のあとはどうもこう気持ちがよいのでしょう。たまらなくて足もあがりますわ  』



3. 船上の上、波はおだやか 風は強い。少しバランスを崩し水がかかる
カーチャ  『   すべての経験やものが私の唄となって生まれでることでしょう  』



4.前場に同じ
ニキータ  『   ニキータ 海 にきーた       』



5.魔法の鳥に出会う。とある泉のほとり

おもてだってはいけません。
うらだってもいけません。

余り珍しいお話なので つい眠気を誘われました。


6. 島の中 乾いたアスファルト 海風の鳴る街

学生一同  『 ニキータ 観音寺 にきーた 』




7.船上にて
船人さん  『 落ちても知りませんよ  』


8.いきつけの珈琲屋さん。ようこさまが笑顔で迎え入れてくれる
千香子 『 はいはい、皆さん、ここは魔法のこふぇ屋さんですよ。 抽象的にご注文なすって。 』


9.とある大広間にて
すでにこの時から 企画ははじまっていたのかもしれない。





10.大広間にて 19日コンサートの後に
むせかえるような花の香。観音寺フェスティバルのメンバーが集う。



ー強い想像力には つねにそうした魔力がある

光に濡れた星の夜

白い猫はふとねがえりついでに おもいました。


фп

Моя фотография
すきなもの うつくしいもの きれいなものを 傍に置くように 音で表現するように (Леф=Left Front of the Arts)

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