18.3.10

Л・Н・Наумов


Lev Nikaraevich NAUMOV(1925.2.12-2005.8.21)

このところ縁あって
先生のことをよく思い出します

レフ・ニカラエヴィッチ ナウモフ先生との出会いは木曜日の夕方
モスクワ音楽院のレッスン部屋に私が
偶然入ったことがきっかけ
その日から魅了されてきました

モスクワ音楽院の3階の奥に
【29】の部屋 があります
ネイガウスの部屋と呼ばれていて
ネイガウスの写真のちょうど向かい側に
ナウモフ教授がいらっしゃいます。


部屋のエピソードで思い出すのは
ある日、レッスンが終わり 29の部屋で残って
練習をしていると
月に一回の音楽院ピアノ科会議でたくさんのピアノ科の教授が
入り口に集まり出したところ
ナウモフ教授が32の部屋に移動を提案
ふりかえりざまに 私に親指を立ててにんまりと笑っていました

先生のあたたかみに触れた
いまでは大切な思い出の1つです。






1950年 モスクワ音楽院を作曲科・ピアノ科の両方を卒業。
その後 ロシアピアニズムの巨匠 ゲンリヒ・ネイガウスのアシスタントに
その後 ネイガウスが亡くなり 先生は個人的に
モスクワ音楽院にクラスを持つことになります。
以後2005年まで 様々なピアニストを輩出されました。

ネイガウスクラス写真。左にすわってらっしゃいます。


貴重な写真 左より スタニスラフ・ネイガウス/ナウモフ教授/マリーニン



高潔なピアノ指導者として知られ、厳正中立の立場を終生貫いた名教授であった。
旧ソ連時代は政府の介入でモスクワ音楽院のカリキュラムも相当影響を受けていたが、学生達の盾となって政府関係者と対峙していた良識派で知られていた。

作曲家出身らしい理論的なアプローチで指導する半面、芸術全般や哲学・心理学にまで及ぶ幅広い教養も求められ、レッスンは総合芸術講座さながらであった。ナウモフ門下がピアノ以外の芸術分野に異常なほど造詣が深いのは、
ナウモフ・メソッドの要求の厳しさと無関係ではあるまい。  /抜粋






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すきなもの うつくしいもの きれいなものを 傍に置くように 音で表現するように (Леф=Left Front of the Arts)

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