korin OGATA 尾形光琳(1658-1716)
山の麗しさ、水の流れのたおやかさ、気篠を伸ばす紅い梅、老いた枝を湾曲させる白い梅ー
光琳の作品に出会ったときの息をのむ美しさはいまでもわすれられない
丁度 寒い季節からあたたかい季節にむかうシグナルとして 早ければ1月に蝋梅の甘い香りを感じる。そう 春がきたのだと
光琳が生まれたのは万治元年(1658年)の京
京の画壇を代表していた狩野山楽が世を去って20余年、江戸では狩野探幽が活躍していて城郭や狩野派の時代。厳めしく力強い男性的な狩野派とは全く異なるジャンルで女性的な美を造りだす集団が活躍していた
尾形光琳の生家である呉服屋の『雁金屋』
この呉服屋、光琳の曾祖父は本阿弥光悦の姉を妻とし、淀君を上得意とし経済的に豊かであった
面白いことに仕入れてきた呉服を小売りするわけでなく 『呉服のファッションデザイナー』ができる多数の職人を抱えていたのだ
後年の光琳の作品のモチーフに漂う女性的でやはらかな美しさの採り籠は この雁金屋にあったのだとうなづける
『衣装比べ』(いまでいうところのファッションショー)の逸話が
それは京の東山の料亭でおこなわれた
華麗な衣装を着飾った女性たちの中で 中村内蔵助(多大なる支援者であった)の妻のために用意した伝説の衣装
白無垢の重ね儀に 黒地の羽二重の打ち掛け。。。
呉服の美を知り尽くした光琳のファッションセンスは称賛ーそう 白黒のシンプルな装いがどれほど光ったのかーまばゆい世界がイメージできる
光琳が好き好んで描いたモチーフに
梅と燕子花であった
梅は万葉集の時代より 歌人に愛された植物で王朝文化では桜よりも愛されたが故
燕子花は伊勢物語の八橋をイメージした意匠である
光琳が燕子花をも好んでモチーフにした背景には 京の機運、そしてお公家さんとの交流が窺える
二条綱平との交流は濃密で1年に30数回もその屋敷を訪ね、公家•王朝文化に耽ったことにより
『燕子花図屏風』 そして『紅白梅図屏風』 を完成させた
根津美術館/青山、 大覚寺/嵯峨野
訪れると
時がとまったかのようになる
そうして お薄を一服点てたくなるのだ
夏のお召しを袖に通し
外をあるいてみたくなる
機会があるなら何度でも足を運んでみたいと思える場所がある
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crows and the moon