22.9.11

茶の心





このところ朝晩空気が冷え込んできて 神無月の訪れを感じます






10月は“侘び”、“寂び”を愉しむ月で わたくしがお茶を習ってきてよかったと思える月です。






金継ぎ茶碗がお目見えする特別な時期。




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あるとき 平宅先生に呼ばれ お手伝いに まいったところ

炭できれいに焼かれた藁を 細かく細かく割りそれを丁寧に“中置き”に敷くように云われました


『 侘びのお点前だけのための1回きりのものなのよ 』


無心に敷き詰めていく動作に心が静まるのを感じていきます。

どこにいきつくか なにがわかり なにがえられたのか わからないけれども

 心に芯のようなものができていく感触があります


『和敬清寂の“なにごとにも動じない心”ができているのよ』


とくすくすっと笑いながら私にお茶を一服点ててくださいました




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茶釜は10月になると肌寒くなり火が恋しくなる私達に近くなるように


一段おりてきて畳に近くなります。


飾られるお花は“寂び”を愉しむために 彩られないことを花とします。




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実に“いま”を生きているという感覚を茶人である平宅先生、堀野先生、そして祖母から感じます。
 

訪れた季節に悦び、その時瞬間の美しさ、微々たる変化にも敏感に反応しているという事。
  
 
『一期一会』




この時に出会えた(もしかしたらもう出会えないかもしれない)お茶碗への感謝というものは




人と人との在り方に通じると思うと



最近、突然失ったものがあった私ははっとさせられたのでした。











お薄を一服さしあげます

фп

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すきなもの うつくしいもの きれいなものを 傍に置くように 音で表現するように (Леф=Left Front of the Arts)

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