初代長次郎作黒楽 |
ストイックな利休の侘び茶。「不足の美」(不完全だからこそ美しい)に禅思想を採り込み、高価な名物茶碗を盲目的に有り難がるのではなく、日常生活で使っている雑器(塩壷など)を茶会に用いて茶の湯の簡素化に努めた。
そして、精神的充足を追究し、“侘び”(枯淡)を求める。利休は師の教えをさらに進め、“侘び”の対象を茶道具だけでなく、茶室の構造やお点前の作法など、茶会全体の様式にまで拡大し、新たに樂茶碗など茶道具を創作し、掛物には禅の「枯淡閑寂」の精神を反映させた水墨画を選んだ。
利休は“これ以上何も削れない”という極限まで無駄を削って緊張感を生み出し、村田珠光から100年を経て侘び茶を大成させた。
そして、精神的充足を追究し、“侘び”(枯淡)を求める。利休は師の教えをさらに進め、“侘び”の対象を茶道具だけでなく、茶室の構造やお点前の作法など、茶会全体の様式にまで拡大し、新たに樂茶碗など茶道具を創作し、掛物には禅の「枯淡閑寂」の精神を反映させた水墨画を選んだ。
利休は“これ以上何も削れない”という極限まで無駄を削って緊張感を生み出し、村田珠光から100年を経て侘び茶を大成させた。
織部筒茶碗 銘 『冬枯』 桃山時代17世紀 |
黒釉と白釉とをかけ分けた片身替りの織部。
千利休の高弟であった古田織部は独特の感性を持つ。故意に形をひしゃげさせたり、一度完成したのをわざと壊して継ぎ合わせたりした茶碗、パズルピースのような形の皿などのような、不均衡さに美を見いだす作品が「織部好み」として様々に伝えられている。
古田織部がデザインした陶磁器は、それまで良いとされていたシンメトリーに反しアンシンメトリーを大いに是とす。
小井戸茶碗 銘 『六地蔵』 朝鮮時代・16世紀 |
小堀遠州は古田織部に「茶の湯」を学び、のちに「遠州流」という流派をつくる。安土桃山時代から江戸時代前期にかけて、茶人、建築家、作庭家、書画、和歌にもすぐれ、王朝文化の理念と茶道を結びつけ、「綺麗さび」という幽玄・有心の茶道を創り上げた。
利休の侘び、織部のひょうげ、遠州の綺麗さび
あなうつくしや 茶の世界ー
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