23.2.12

pianism




美しい音楽は無限にある      




すべての音楽を知るには人生は短い        




それは一期一会  音楽もそうなのだ







scriabinなら op.8-12,    op.42-5  








スクリャービンとラフマニノフが常に私の頭の中では並行にある



そして毎日のプログラムの中でどちらも欠かせないもので やっぱり好きなのだろう。



身体にそのまましっくりくるのがスクリャービン、ラフマニノフは第三者的に美しさを感じられる。彼の音楽は大自然なのだ。スクリャービンはどちらかというと内に秘めた内面の世界が広がっている。だから色であり香りであり闇が似合う。夜なのだ




頭脳•知識•テクニック•感受性•精神力•インスピレーション。。全神経を集中させ、そのとき持ち合わせた自分の能力を最大限に奮い立たせ理解しその作品を『ものにする』



ピアノ(楽器)を取り組む上ではじめにするのが楽譜を読むこと=譜読み
私は 楽譜を見ないで=暗譜をして演奏できて初めて譜読みが完成したという目安にしている。訓練の末、いまは大抵の曲は5日もあればできる。



楽譜を見ないということは その曲に対して 頭(考)耳(聴)手(動)が一つになったということでようやくスタート地点に立てるということ、それはある一種の完成を指す。




暗譜の面白いところは譜読みは曲の難しさだけでなく、プロコフィエフやショスタコーヴィッチの耳慣れない独特な音階、ショパンの細々とした音符、音形の変化、シューマンの一見奇抜な進行(彼はいつも驚かせる)ドビュッシーのぼやけた美しい音楽、バッハの常に声部が独立しているものなど、また曲の長さ (20ページ以上あるものなど)によって変わる。そこで改めて自分のウィークポイントや特徴、癖などに気づいたりする。音楽を通して自分を見る、ようは自分との対話なのだと気づく。


ポーズ(休符/休息)睡眠(熟成)が左右されることも忘れてはならない。









スクリャービンのソナタだけは 火曜日のレッスンの時にナウモフ教授が楽譜を私の目の前に置いてくれた。いまでも忘れられないー(ネイガウス派の教授たちは生徒が楽譜を見ながら演奏する事を嫌がる)スクリャービンの和声は独特できちんと楽譜をおいて分析しないととんでもないことになるからだそうだ。レッスンがはじまると案の定 楽譜など関係なくなってしまったけれど。。。。







水の中のように自由にピアノをー
















фп

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すきなもの うつくしいもの きれいなものを 傍に置くように 音で表現するように (Леф=Left Front of the Arts)

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