31.8.15

Rabariとあじゃり




夏の終わりに啼く蝉は 残された時間を惜しむように 少し物哀しく響く

そしてこのところ東京では雨が続いてどうしてもセンチメンタルな気持ちが続くー

楽しい夏のおしまいに 大切な日があるのだ

8月29日 香川県観音寺市にいる親友“おときちゃん”のバースデー
今年はきっと寂しいー 彼女の大事な愛犬“あじゃり”が今年の4月5日旅立ったから...





おときちゃんのバースデーの明け方ー 夢うつつの中 私は夢の中であじゃりに逢えたー




失う哀しみって二種類あって
時間が経てば風化して美しい思い出となるものと
うまらないぽっかりあいた穴みたいなのがあって

それは唯一無二の存在が
死というものによって この世にいなくなってしまう時に起こることで
その穴を 人はそれぞれ思い出や記憶• 何かの種を蒔いて 埋めていくのかなって






マイナスであればそこは哀しみの荒地なだけかもしれない
誰に何も遺さない


思い出を メロディーに変え慈しむ•愛しむことで
 それはもうすでにその存在が残したものがこれだったんだって
次第に真実が浮かび上がるんだよね


あじゃりのあたたかみを私は感じた





それはおときちゃんがその穴にきっと秘密の種を蒔いたんだよね、あじゃりとの秘密の種を。


とてもいい香りのするー


うまくうまく蒔いたんだよな ぜったい。



ハッピーバーズデー







香川県観音寺市にあるおときちゃんのカフェ 私は帰るとピアノばかり弾いてしまいます




12.8.15

お盆の頃に





ようやくお盆が巡ってきた
この時期になると蝉の鳴き声というのは 一気に哀愁を帯びてしまう
思い出すのは 今はこの世には存在しない大切な人たちのことをー



3人のピアノの先生のこと、

ピアノを教えてくれたおばあちゃんのこと

ピアノが好きだった白い猫のこと




音楽というものは不思議なもので 
いまはかたちすら存在しないものであっても
それを永遠に生かせる力を持っているのだと私は信じている


うだる暑さが涙と悲しみに盛大なコントラストを持たせ
見送った車の音が今でも忘れられない

ヒグラシの鳴き声を背にー



фп

Моя фотография
すきなもの うつくしいもの きれいなものを 傍に置くように 音で表現するように (Леф=Left Front of the Arts)

ARCHIVE